捨我得全
2021.08.10
人はそれぞれ自分流儀の生き方がある。朝起きてからやる順番も人それぞれ違う。自分なりのこだわりがある。神様から「こだわりを捨てれば、新しい生きる道が用意される」と言われたが、なかなか解らない。自分が何に拘っているのかさえ、見えない。拘っている自分は否定されているとさえ想う。神様の真意は、なかなか掴め切れない。井の中の蛙だ。しかし暗中模索の霧の中にいると、次々といろんな事に挑戦してみるが、長続きしなくて結局辞めてしまう。また新たな道が用意されると信じて突き進むが壁、壁、壁の連続である。そしてふっと目を覚ますと、無理難題を自分に化していたことに気づく。無駄足や無駄ぼり、やってもやっても霧の中にいる。そんな自分とおさらばしたいと思っても、自分へのこだわりが強情に自分を縛っている。全てを無にして我を捨てる。なかなか難問で出口が無い。家の中には買い置きやガラクタが山のようになっている。せめて不要な物を捨て断捨離しようと片付け出したら、あれこれと要らない物をエェイと捨てる。すると自分の拘りもいつしか軽くなり、心もほぐれた事に気づく。断捨離は心も掃除してくれる。過去を捨て新しい生き方を、洋服を変えるように身に纏えたら良いのになぁと考える。心の奥底から本気で変わらないと、生き方も考え方も思考も変わらない。捨ててみて初めて、捨てられなかった自分に気づく。捨てて初めて、本当に欲しかったものが見つかる。昔も今も変わらない。